ことほぎの響き

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前書きー3

バッチの認識の光のなかで、植物もまた、彼らにふさわしい場所をとり戻した。
ただ唯物主義の植物学では、植物は進化の過程で偶然できた、
精神・魂のない生物として現れる。すなわち精神や魂のない偶然の産物と思われている。

それに反して、瞑想的に物事を見る人には、
生物は様々なレベルにおいて人間と関係を持つことができる個性として姿を現す。

筆者たちは、この試みがまさに自然破壊の進む今の時代において、地球に棲む静かなる共存者が新しい視点を持つための示唆となることを望んでいる。まさにいま植物は我々に多くを語らなければならない。

植物自身がそれにふさわしい媒体となるべき人間を選び出している。エドワード・バッチはその中の一人であった。


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唯物主義の前に唯物論という考え方があって、
世界にある様々な物質や生命は[元素]から構成されていて、
世界に見られる様々な現象や人間の心などは全て、その性質があらわれたものだと説明するのが唯物論。

植物も動物も人間も、所詮は元素から構成された[モノ]だと考えれば、
心を大切にしない考え方にもつながるし、何でも科学技術で解決できると考えれば、
宗教や道徳などもいらないという考え方にもつながります。

昔の人が大切にしてきた自然を畏れ敬う気持ちや、魂、神様なども否定してしまいますね。

日本人の中では、いまでも盆や正月
三月のひな祭り、五月のお節句、七月の七夕、九月の重陽の節句など、
元は中国から入ってきた東洋思想を神事として毎年行っています。
徐々に本来の意味からは遠ざかっている都心部の考え方はありますが

儀式好きな日本人は、形を変えても暮らしに取り入れています。

このような信仰は、時として人を助けます。

店には看護師さんもいらっしゃいますが「死」を迎えた人で、
信仰を持っている人は比較的、最後穏やかに逝かれますよ。
と聞いたことがありました。

私たちの宗教心や道徳心は、私はその人の中にあると信じています。

それまでの生き方や経験から導いてきたもの。
この全てを信仰といわせていただければ、常に自分の中に神が存在しますので、
私に存在するならば、相手にも存在するはずですね。

これが、私が自分で導いた答えです。

ミクロの私に神が存在するのなら、マクロの全ての人にも神が存在する。
人間というミクロに神が存在するのなら、地球という惑星にも存在するのだろうし
逆に言えば、小さな動物や昆虫にも存在するのでしょう。

すると、自分を愛することは他の全てを愛することになります。
他を、地球を慈しむことは自分を慈しむことになります。

しかし私は宗教家ではありません。人を神とする見方はしていません。
そこは、平等性に欠けるのです。

一人一人を尊重する。という視点がフラワーエッセンスのおかげで出来ました。
ですから、科学的な分野に大変期待しています。

目に見えない、感情や思考、精神や霊性を持って人の肉体は存在し
健やかであることを科学が解明すれば、
双方で補い合う必要性に気づいていけることでしょう。

植物界や動物界、鉱物界を破壊する人間の行為に、思慮深くなっていくと思うのです。

「自然破壊の進む今の時代において、地球に棲む静かなる共存者が新しい視点を持つための示唆となることを望んでいる。」という筆者の思いは、きっとフラワーエッセンスの創始者の思いです。

ですから、
それぞれの深いところにある心音に共鳴すると、この植物の癒しの本来の意味を認識することができます。
植物と対話できる全ての人を植物界は待っています。

私の店には、なかなか来られません。と私は言うことがあります。
どうしてかといえば、地球に棲む静かなる共存者が新しい視点を持とうと
準備ができた人から扉を開けるからです。

いままでの視点(意識)を変えることは、並大抵の努力ではありません。
価値観を変えることなのですから。

有名な自然食やオーガニック製品を扱う店の方が、フラワーエッセンスは好きではない。
そう仰ったことがありました。地球のために行動している人でも、
本当の自分を受け入れることは勇気のいることなのです。
ですから辿り着いた方は、ご自身を褒め称えてください(笑)

これは人類の進化のための通り道です。
私たちの感情(アストラル)の世界から脱し、進化のスタート地点に降り立つこと。
その道を植物たちもゲートを開いて待っています。

まだまだ進化の道は、それ以上に続くのですから。。。


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by kotohoginohibiki | 2018-02-09 13:11 | 「魂の植物」を読み解く | Comments(0)