ことほぎの響き

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2018年 03月 12日 ( 1 )

「魂の植物」ー苦しみか挑戦か。あなたの意識で人生は大きく変わる

「バッチの花療法への新しい洞察」
苦しみか挑戦か。あなたの意識で人生は大きく変わる

当時サミュエル・ハーネマン(1755−1844)は技術者、または化学者としての役割に甘んじていた。精神または霊は、これらのがっちりした「客観的な」実態とはほとんど関係ないように思われたので、それらを悠然と主観の領域に押しやるか、聖職者か詩人に委ねるのがせいぜいであった。老いた薬草女と植物治療家が関わるものは、非化学的な迷信として軽蔑し、避難することができた。「勇ましい」医学が支配的だった。すなわち、疲れ切り活気のない生物機械、神経過敏なゲル体からなる形成物を「勇ましい」反応へと駆り立て、それから痙攣、発汗、発作、下痢などを強引に除去することのできるヒ素、硫酸塩、水銀などの毒で治療していたのだ。身体が反応する限り希望はあると、教義が述べていたからである。それに不可避の瀉血(シャケツ)、皮膚刺激のある焼灼剤(ショウシャクザイ)による消水泡、いい加減な外科が加わったが、

それは病人を救ったというよりはむしろ、医者の実験的好奇心を満足させたのだった。

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人類の研究は、未だ化学者を人体実験へと駆り立てます。
また人に使用する前には必ず動物実験が伴うことを忘れてはなりませんね。
そして最悪なことは、この実験が完結されていないことです。

私たちには「無害」を求めて研究がなされる方向が必要です。
また、昔からなされたことやものを見直しながら、その中から「無害」なものへ分析を駆使して見つけ出していくことが、時代の最先端となるはずです。

何故ならば、人は常に過去から学び、統合していくことが次の進化を生むからですね。

世の中の新しい改革がなされるとき、必ずや生みの苦しみが訪れがあるのでしょうか?
世間では膿出しとも言いますが、悪いことと良いことは同時に起きます。
それは「光と影」と同じことです。

ときに人は試され「苦しみ」と捉えるのか「挑戦」と捉えるのかで、その後の人生は大きく変わります。
全て私たちの意識に委ねられているといっても良いでしょう。
ハーネマンもバッチも「挑戦」と捉えた人物だったようです。

私が出会った「音叉」の医学博士も、もう乱暴な外科的手術はもうしない。
しかし、それを表立って診療はしていない。と言います。

医師会に潰される危険があるのです。だから早く
医療として「無害」な方法が一般的になり、また家庭の誰もが
できるようになることを祈りたいですね


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ハーネマン医師は極めて誠実かつ良心的で、他者に深く共感することのできる人であった。エドワード・バッチが100年後同じ経験をしたように、彼はこの即物的(1 主観を排して、実際の事物に即して考えたり、行ったりするさま。2 物質的なことや金銭的なことを優先して考えるさま。)な医術では、治療することができないことを思い知らなければならなかった。
ハーネマンは膨大な知識を有していたにもかかわらず、自分の子供が病に襲われたとき、助けることすらできないという茫然とする経験をしなければならなかった。ついに彼は、良心の痛みから医者として働き続けることはできなくなった。診療所を閉め、11人の子沢山の家族を辛い貧困に突き落とす一歩となった。彼の医者としの経歴はこれでおわったと考えられたが、これは医学の改革の始まりだった。


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by kotohoginohibiki | 2018-03-12 18:46 | 「魂の植物」を読み解く | Comments(0)